あまおけ 2024年5月公演に向けて
そろそろ4月も半ば、
「本当なら」今頃はたっぷり満開を楽しんだ桜の
散る様を見て「ああ、ニッポンだ」と感慨深くなったり、
そろそろ春本番、ちょっとでかけてみませんか?
みたいな空気になっているはずなのに、
今年はなんですか、桜が開花してほんの数日で満開、
そしてその後2回余り強風・大雨で、
桜吹雪もないまま、花がボトボト落ちてしまい、
春の余韻もないまま、
4月だというのにもはや全国的に「真夏日」が殺到、
もう春物出すヒマもなく夏物を大慌てで用意する
今日この頃、皆様いかがお過ごしでしょうか。
ホント、毎年、年を重ねる事に「今年の季節は」
という台詞が「異常」ではなくなっている気がしますが。
とうとう、ある程度のレベルまで到達したんでしょうか?
4月半ばなのに、春物を着て楽しむヒマもなく、
もう夏物で当たり前、という今年の猛暑、
4月半ばでこれなら、今年の7月や8月は
外出は危険、全員在宅勤務にしろ、ってことに
なりゃせんのだろうかね?
もう4月半ば。
2月にFAして、もう2カ月半。
あと半月で「半人前」から「一人前」に。
でも「ケアレスミス」が増えてきて、
ちょっと「バレた」かな?と戦々恐々としていますが。
どうにかやり過ごせますように。
そんな今日この頃。
例によって、オイラのいるあまおけの本番が
来月末、という日程で近づいてきました。
今回は色々と激変があって、正直辛かったり
困ったりしてはいるのですが。
なんとか乗り切りたいものです。
今回のプログラムは、当団には珍しく
堂々の名曲プロ、となりました。
以下、現時点でのざっくばらんなインプレッションを。
1) シベリウス/フィンランディア
これ、「死なないヤツ」(ダイ・ハード)で使われて
一時ブームになりましたが。
(未だに、なんであの映画でフィンランディアだったのか
分からずじまいでしたが。映画はよかったですよねぇ。)
こういう名曲、って案外プロオケでは取り上げないんですよね。
または、いわゆる「ドサ回り」で、2~3回「合わせ」をやって
「はい、本番!」っていう扱いなのだそうですが。
実際、当団でも仕上がりが一番早いのかな?とは思うのですが。
案外、これをやったことのある人、って
いそうでいないらしくって。
もうストーリーは説明するまでも無いでしょうが、
深掘りすれば、単純に「いざ立ち上がれ」で1曲だけ書いたんじゃなく、
なんでも7曲の「組み物」の「最後」に用意されていた交響詩だそうで。
でも、やはりロシアの抑圧、という半現実を目の当たりにしている世界
では、この曲の「オーラ」は思う存分生きているんでしょうね。
力みすぎると音が濁る、とはゲストトレーナーの指摘なのですが。
でもこの曲を聴くだけでも血湧き肉躍る、ってヤツだろうに。
演奏する側も真剣に没入したら、きっと血湧き肉躍る、ってことになるんだろうな。
まだ、「どうせフィンランディアでしょ?」みたいに、テキトーに
さらりと流して「はいおわり」としちゃう前期高齢者の団員さんも
中にはいらっしゃるようですが。
そんなん、フィンランド人が聞いたら袋だたきの撲殺でっせ。
やはり、とあるプロフェッショナルが言いました。
「100年残っても聴かれる曲こそ名曲。そういうのを
腕のあるアマチュアオケが真剣にやることがとても大切」と。
オイラは諸々あってこの曲の2ndをやっていますが、
「オマケ感」「番外感」というのは全然なくって、
(オーケストレーションがどうのこうの、ではなくって)
2ndであっても吹いてて楽しい、燃える、でも指先、口先は
冷静に、そして1stにつける・・・
それが全てなんでしょうね。
本番が楽しみな曲です。
2) チャイコフスキー/ロメオとジュリエット
さて、お次がチャイコのロメジュリ。
ロメジュリというと、チャイコの他に、ベルリオーズ、プロコフィエフ
なども題材に取り上げてますし、拡張して考えたら、
ウェストサイドストーリーもその一つですよね。
この悲哀のテーマは永遠不滅なのでしょうか?
バーンスタインが嘆くように、
「いつまでもこの話が新鮮な悲劇という世界こそが悲劇だ」と。
いわゆるバレエ曲ではないので、曲とストーリーとの関連付けは
ちょっとわかりにくいかも知れませんが。
曲のあちこち、至る所に「おチャイコ節」が盛りだくさん。
むしろおへそ曲がりの当団には苦手な系譜かと思ったのですが。
客演指揮者先生サマのお力もあって、案外(?)それなりに
まとまり始めている、という感じ。
あ、オイラ、諸々あってこの曲は降り番になりました。
だから外野席からのインプレッションではありますが。
まあ、一言で言えば木管勝負、特に後列勝負、でしょうね。
ちうか、おチャイコ様の楽曲によくあるパターンですが。
それにしても、でかいクチを叩く割には、ご自分に跳ね返っても
なんとも思われないご様子・・・(そういうの一番嫌い)
まだ不安定な所もあるようですが。
(なんでそこのズレ、当たり前のようにずらして吹けるんだろ?)
でも、フィンランディアの次にチャイコのロメジュリ、
流れとしては悪くない、案外すっぽりはまって良い感じになりそう。
3) ベートーヴェン/交響曲第5番
そしてメインはおなじみ、「アレ」です。べー5。「アレ」とは書きましたが、
「アレ」を副題にしているのはニッポンくらい。
ニッポンじゃ、「なんちゃら道」とかいう表現(精神論)が受け入れられやすいのか、
その精神の延長なのか、なぜか「勝手に」副題として「アレ」を称呼してますが。
逸話で、弟子が師匠に聞いたら、師匠は「このモチーフは「アレ」がドアを叩く音だ」
と言った、とか言わなかったとか。
これ、正解は「言わなかった」なんですってね。
実際、ベートーヴェンが自ら副題を付けたのは
「エロイカ」「田園」「合唱付き」の3曲だけ。
あとは「番手」だけで表現するのが「世界標準」。
ということで、オイラの独断で(いきってるだけ?!)今回のプログラムでは
その表記に「アレ」は使っていないのですが。
もう「アレ」を言わなくても「アレ」だ、ってわかるっしょ、べー5と聞けば。
こちらも訳あって、我が儘通してもらって(前回のブラ3に続いて)
1stさせて頂いています。
改めてこの場を借りて(って関係者は見てないだろうに)、
深く御礼申し上げます。
でも諸条件をあてはめたら、結局オイラしか残らない、という奇遇もあったのですが。
で、さすがに100年残る名曲。
実は所属団体では4回目なのですが、これまでの3回はPicだった、という悲運な曲。
そろそろ「笛吹き引退」も視野に入る今日この頃、
せめてこれか、7番の1st、ってのはきちんとやっておきたいな、と
猛烈に思って、回りから散々けなされても1stに居座ってしまった、
という次第(ホント、パートの皆さんには「陰口」聞かされて迷惑だったろうと思います)。
だから、今回こそは、絶対「アレ」のモチーフ存分に味わいたいと思ったんですよね。
で、指揮者センセは、オイラが好きなセンセの1人、同じ名前のセンセ様。
例によってオイラのこと、いぢるいぢる・・・
でもこの曲は本当に「底」が見えません。どこまでやったら「できた」と言えるのか?
むいてもむいても、いつまでも剥けるタマネギみたい?(なんじゃそら?)
あっちが出来てもこっちが出来ない、回りを聞けば自分を見失い、かえって迷惑かけてる?
でも聞いた通り、言われたとおりにやったら、どうにも自分の「べー5像」からますます
離れるような・・・
そんなお花畑状態でいいんだろうか?と思いつつ、自分の音楽をすることを
許してもらえない・・・そんな堅苦しい状態でいいんだろうか?
もっと、お互い自由にセッションしたなぁ。
でもその前に、自分がもっと練習しとかなきゃな、と、
個人練習でも、Tutti練習でも、終わるたびに「反省」しか残らない、という
奥深い曲。
でも、個人的には目一杯楽しませてもらっています。
それが腹立つ人達も沢山いるようですが。
(何かあれば直接相談してくれりゃいいのに。「こうしなさい」というのも、同意できれば
いいんだけれど・・・)
そんなこんなで、「合わせるだけ」ならそりゃ合うんだろうけれど。
「その奥先」が目一杯深い、まるで鍾乳洞のように?どこまで行けば
最奥に到達するのか?それが全然見えない、という不安はたっぷりあります。
けれども、その不安すら楽しませてくれるのが、偉大なる楽聖の楽曲なのでしょう。
さ、ケチつけられないようにマキ入れなきゃ。
ということで。
私、実は去年末で代表職もパートリーダーも「クビ」になりましたので、
実はこの演奏会は8年振りに「立場フリー」で望む演奏会なんですよね。
で、今までは「お手伝い」でステージ回りをやっていたのですが、
(ロクに経験者がいなかったこともあって)、オイラが時間をかけて
熟成した「弟子」(エヘン)が「もう独り立ちしても良かろう」という状態になったので、
本当に、文字通り「一団員」(あ、団員としてのお手伝いはしますよー)として
臨む演奏会。
でも、練習中の一部管楽器の「超不真面目」「馬鹿にした態度」にハラたててブチ切れた
カミさんは、職場の転勤もあってオケをやめちゃったのね・・・
だから一団員だし、独りぼっちだし、そんな状態で臨む演奏会なんて
いままで未経験だったからなぁ。
べー5、思いきり緊張しちゃうんだろうな。
そういう時にアンサンブルに頼ればいいんだろうけれど。
どうにも周囲には「委員長の横暴」「PLの独裁」で今回のポジション、
一人出勝手に決めた、って思われてるようだし(当然フェイクですが)。
そんないろんな複雑な感情が入り交じった演奏会。
唯一の救いは、指揮者センセがよく知ったセンセ、ってことなんだろうか。
せめて弟@オケ、が一緒ならまた気持ちも違ったのかもしれないけれど。
まあなんだかんだいって、あと6週間。
終わってみて「よかったね」って言ってもらえるように
前向いて頑張ろうっと。
*それにしても、あらゆる意味で「本番」大丈夫なのかな?
立ち位置上、いろんなことが「漏れ聞こえて」くるけれど・・・・・
ま、選んだのはオイラじゃないからねぇ。
「本当なら」今頃はたっぷり満開を楽しんだ桜の
散る様を見て「ああ、ニッポンだ」と感慨深くなったり、
そろそろ春本番、ちょっとでかけてみませんか?
みたいな空気になっているはずなのに、
今年はなんですか、桜が開花してほんの数日で満開、
そしてその後2回余り強風・大雨で、
桜吹雪もないまま、花がボトボト落ちてしまい、
春の余韻もないまま、
4月だというのにもはや全国的に「真夏日」が殺到、
もう春物出すヒマもなく夏物を大慌てで用意する
今日この頃、皆様いかがお過ごしでしょうか。
ホント、毎年、年を重ねる事に「今年の季節は」
という台詞が「異常」ではなくなっている気がしますが。
とうとう、ある程度のレベルまで到達したんでしょうか?
4月半ばなのに、春物を着て楽しむヒマもなく、
もう夏物で当たり前、という今年の猛暑、
4月半ばでこれなら、今年の7月や8月は
外出は危険、全員在宅勤務にしろ、ってことに
なりゃせんのだろうかね?
もう4月半ば。
2月にFAして、もう2カ月半。
あと半月で「半人前」から「一人前」に。
でも「ケアレスミス」が増えてきて、
ちょっと「バレた」かな?と戦々恐々としていますが。
どうにかやり過ごせますように。
そんな今日この頃。
例によって、オイラのいるあまおけの本番が
来月末、という日程で近づいてきました。
今回は色々と激変があって、正直辛かったり
困ったりしてはいるのですが。
なんとか乗り切りたいものです。
今回のプログラムは、当団には珍しく
堂々の名曲プロ、となりました。
以下、現時点でのざっくばらんなインプレッションを。
1) シベリウス/フィンランディア
これ、「死なないヤツ」(ダイ・ハード)で使われて
一時ブームになりましたが。
(未だに、なんであの映画でフィンランディアだったのか
分からずじまいでしたが。映画はよかったですよねぇ。)
こういう名曲、って案外プロオケでは取り上げないんですよね。
または、いわゆる「ドサ回り」で、2~3回「合わせ」をやって
「はい、本番!」っていう扱いなのだそうですが。
実際、当団でも仕上がりが一番早いのかな?とは思うのですが。
案外、これをやったことのある人、って
いそうでいないらしくって。
もうストーリーは説明するまでも無いでしょうが、
深掘りすれば、単純に「いざ立ち上がれ」で1曲だけ書いたんじゃなく、
なんでも7曲の「組み物」の「最後」に用意されていた交響詩だそうで。
でも、やはりロシアの抑圧、という半現実を目の当たりにしている世界
では、この曲の「オーラ」は思う存分生きているんでしょうね。
力みすぎると音が濁る、とはゲストトレーナーの指摘なのですが。
でもこの曲を聴くだけでも血湧き肉躍る、ってヤツだろうに。
演奏する側も真剣に没入したら、きっと血湧き肉躍る、ってことになるんだろうな。
まだ、「どうせフィンランディアでしょ?」みたいに、テキトーに
さらりと流して「はいおわり」としちゃう前期高齢者の団員さんも
中にはいらっしゃるようですが。
そんなん、フィンランド人が聞いたら袋だたきの撲殺でっせ。
やはり、とあるプロフェッショナルが言いました。
「100年残っても聴かれる曲こそ名曲。そういうのを
腕のあるアマチュアオケが真剣にやることがとても大切」と。
オイラは諸々あってこの曲の2ndをやっていますが、
「オマケ感」「番外感」というのは全然なくって、
(オーケストレーションがどうのこうの、ではなくって)
2ndであっても吹いてて楽しい、燃える、でも指先、口先は
冷静に、そして1stにつける・・・
それが全てなんでしょうね。
本番が楽しみな曲です。
2) チャイコフスキー/ロメオとジュリエット
さて、お次がチャイコのロメジュリ。
ロメジュリというと、チャイコの他に、ベルリオーズ、プロコフィエフ
なども題材に取り上げてますし、拡張して考えたら、
ウェストサイドストーリーもその一つですよね。
この悲哀のテーマは永遠不滅なのでしょうか?
バーンスタインが嘆くように、
「いつまでもこの話が新鮮な悲劇という世界こそが悲劇だ」と。
いわゆるバレエ曲ではないので、曲とストーリーとの関連付けは
ちょっとわかりにくいかも知れませんが。
曲のあちこち、至る所に「おチャイコ節」が盛りだくさん。
むしろおへそ曲がりの当団には苦手な系譜かと思ったのですが。
客演指揮者先生サマのお力もあって、案外(?)それなりに
まとまり始めている、という感じ。
あ、オイラ、諸々あってこの曲は降り番になりました。
だから外野席からのインプレッションではありますが。
まあ、一言で言えば木管勝負、特に後列勝負、でしょうね。
ちうか、おチャイコ様の楽曲によくあるパターンですが。
それにしても、でかいクチを叩く割には、ご自分に跳ね返っても
なんとも思われないご様子・・・(そういうの一番嫌い)
まだ不安定な所もあるようですが。
(なんでそこのズレ、当たり前のようにずらして吹けるんだろ?)
でも、フィンランディアの次にチャイコのロメジュリ、
流れとしては悪くない、案外すっぽりはまって良い感じになりそう。
3) ベートーヴェン/交響曲第5番
そしてメインはおなじみ、「アレ」です。べー5。「アレ」とは書きましたが、
「アレ」を副題にしているのはニッポンくらい。
ニッポンじゃ、「なんちゃら道」とかいう表現(精神論)が受け入れられやすいのか、
その精神の延長なのか、なぜか「勝手に」副題として「アレ」を称呼してますが。
逸話で、弟子が師匠に聞いたら、師匠は「このモチーフは「アレ」がドアを叩く音だ」
と言った、とか言わなかったとか。
これ、正解は「言わなかった」なんですってね。
実際、ベートーヴェンが自ら副題を付けたのは
「エロイカ」「田園」「合唱付き」の3曲だけ。
あとは「番手」だけで表現するのが「世界標準」。
ということで、オイラの独断で(いきってるだけ?!)今回のプログラムでは
その表記に「アレ」は使っていないのですが。
もう「アレ」を言わなくても「アレ」だ、ってわかるっしょ、べー5と聞けば。
こちらも訳あって、我が儘通してもらって(前回のブラ3に続いて)
1stさせて頂いています。
改めてこの場を借りて(って関係者は見てないだろうに)、
深く御礼申し上げます。
でも諸条件をあてはめたら、結局オイラしか残らない、という奇遇もあったのですが。
で、さすがに100年残る名曲。
実は所属団体では4回目なのですが、これまでの3回はPicだった、という悲運な曲。
そろそろ「笛吹き引退」も視野に入る今日この頃、
せめてこれか、7番の1st、ってのはきちんとやっておきたいな、と
猛烈に思って、回りから散々けなされても1stに居座ってしまった、
という次第(ホント、パートの皆さんには「陰口」聞かされて迷惑だったろうと思います)。
だから、今回こそは、絶対「アレ」のモチーフ存分に味わいたいと思ったんですよね。
で、指揮者センセは、オイラが好きなセンセの1人、同じ名前のセンセ様。
例によってオイラのこと、いぢるいぢる・・・
でもこの曲は本当に「底」が見えません。どこまでやったら「できた」と言えるのか?
むいてもむいても、いつまでも剥けるタマネギみたい?(なんじゃそら?)
あっちが出来てもこっちが出来ない、回りを聞けば自分を見失い、かえって迷惑かけてる?
でも聞いた通り、言われたとおりにやったら、どうにも自分の「べー5像」からますます
離れるような・・・
そんなお花畑状態でいいんだろうか?と思いつつ、自分の音楽をすることを
許してもらえない・・・そんな堅苦しい状態でいいんだろうか?
もっと、お互い自由にセッションしたなぁ。
でもその前に、自分がもっと練習しとかなきゃな、と、
個人練習でも、Tutti練習でも、終わるたびに「反省」しか残らない、という
奥深い曲。
でも、個人的には目一杯楽しませてもらっています。
それが腹立つ人達も沢山いるようですが。
(何かあれば直接相談してくれりゃいいのに。「こうしなさい」というのも、同意できれば
いいんだけれど・・・)
そんなこんなで、「合わせるだけ」ならそりゃ合うんだろうけれど。
「その奥先」が目一杯深い、まるで鍾乳洞のように?どこまで行けば
最奥に到達するのか?それが全然見えない、という不安はたっぷりあります。
けれども、その不安すら楽しませてくれるのが、偉大なる楽聖の楽曲なのでしょう。
さ、ケチつけられないようにマキ入れなきゃ。
ということで。
私、実は去年末で代表職もパートリーダーも「クビ」になりましたので、
実はこの演奏会は8年振りに「立場フリー」で望む演奏会なんですよね。
で、今までは「お手伝い」でステージ回りをやっていたのですが、
(ロクに経験者がいなかったこともあって)、オイラが時間をかけて
熟成した「弟子」(エヘン)が「もう独り立ちしても良かろう」という状態になったので、
本当に、文字通り「一団員」(あ、団員としてのお手伝いはしますよー)として
臨む演奏会。
でも、練習中の一部管楽器の「超不真面目」「馬鹿にした態度」にハラたててブチ切れた
カミさんは、職場の転勤もあってオケをやめちゃったのね・・・
だから一団員だし、独りぼっちだし、そんな状態で臨む演奏会なんて
いままで未経験だったからなぁ。
べー5、思いきり緊張しちゃうんだろうな。
そういう時にアンサンブルに頼ればいいんだろうけれど。
どうにも周囲には「委員長の横暴」「PLの独裁」で今回のポジション、
一人出勝手に決めた、って思われてるようだし(当然フェイクですが)。
そんないろんな複雑な感情が入り交じった演奏会。
唯一の救いは、指揮者センセがよく知ったセンセ、ってことなんだろうか。
せめて弟@オケ、が一緒ならまた気持ちも違ったのかもしれないけれど。
まあなんだかんだいって、あと6週間。
終わってみて「よかったね」って言ってもらえるように
前向いて頑張ろうっと。
*それにしても、あらゆる意味で「本番」大丈夫なのかな?
立ち位置上、いろんなことが「漏れ聞こえて」くるけれど・・・・・
ま、選んだのはオイラじゃないからねぇ。
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