フォトグラフ
なんだかこの週末、
やたらと人が多いと想ったら、
なんと、そういえば?!
連休、ってヤツじゃね?
ってなことに気がつくやいなや、
金曜日の大型ステーションの混み具合が
新コロ騒動以来久しぶりに大賑わいで、
おいおい、ホンマに大丈夫なんか?
そもそも第5波が急激にしぼんだ理由も
わからないのに、
それにそりゃ確かに経済も回さなきゃダメだし、
特にこの街は市長を筆頭に
「観光に来てください~」って文字通り涙する
現状であることも考えたら
むべなるかな、とは思いつつも、
北海道ではすでにリバウンドを暗示する
指数が出始めていると聞いて、
ホントに今年は無事に年越し出来るのかな?
と、いつもいつも何かしら気にして心配ばかりしている今日この頃、
皆様いかがお過ごしでしょうか。
さて。
振り返れば。
この11月。
すっかり乾ききった脳みそを
再び湿潤にすべく
演奏会をやって(お客がいたのは嬉しい限り)、
映画を見て(やっぱり007はこれで終わりだな)、
とくると。
いつものワタクシのパターン。
先週、これも毎度のパターンで、
カミさんのお供で美術展に行って来ました。
今日はその印象を簡単に。
行ってきたのはこれ!
「写真家ドアノー/音楽/パリ」
これまた例によって俺はぜーんぜん知らなかったけれど。
(カミさん、ホントよく知ってるなぁ。
とある指揮者のセンセ様からは
全くタイプ(「専攻」)の違うサブカル夫婦と
言われたっけ・・・)
ドアノー。ロベール・ドアノー。
写真家。
一次大戦後頃から?
パリの様々な風景・時代を写し取った
名フォトグラファー。
それだけしか予備知識もなく
お供したわけですが。。。
今回の会場は
京都駅ビルにある 美術館「えき」。
・・・新コロ。第5波が謎の収束を迎える中、
オイラはまだイシンオーサカを信用できないので
オーサカに出かけるのはまだガマンしてる・・・
だから、兵庫や大阪で開催される
様々な美術展はことごとく「新コロ理由」で
泣く泣くスルーせざるを得なかったのですが・・・
今回は京都市内。
そしてこの「えき」は小ぶりな美術館。
デパートの中にある美術館。
だから閉館は全館閉館の30分前、午後7時30分まで。
でもって、オイラが仕事終わってそこに行けば
だいたい午後6時~6時半の間に到着。
だから小一時間しかない、ちゃないのですが、
実は展示内容も(いつも)それに応じたボリュームで、
しかしちゃんと「コア」は作ってある美重展を
よくやってくれるので、
なかなか気に入ってる美術館なんですよねー。
しかも平日。夜。
もう人もパラパラ。
結構気に入っています。ここ。
で、「ハコ」はいい、として。
このドアノーの写真。
パリのさまざまな風景、というより「顔」を
フレームに収めています。
大きくは「パリの音楽シーン」が中心なのですが。
ドアノー自身音楽が好きだったんでしょうね。
ちうか、どの写真も「スキ」でなきゃ取れないような、
暖かい眼差しを感じます。
その音楽をテーマにした写真。
アコーディオン弾きと歌い手の女2人。
様々な場所でさまざまな風景で歌っている。
酒場、カフェー、などなど・・・
その風景はあまりにも大衆的すぎて、
なんだか日本の居酒屋で流しで歌い演奏する
歌手とギタリスト・・・
そんな赴きすら。
そのドアノー。
最初は特に写真をやるつもりはなかったそうですが。
ワインボトルのラベルの印刷?
普通に活版印刷をするための原稿?原画?を
彫っていたそうですが。
第1次対戦の頃、それが急速に写真などに置き換わって、
要するに「ご用済み」な職業になっちゃって。
だから父親に(買って)もらった「キャメラ」を
手にして・・・
だったかな。
その後、Renaultの広報カメラマンになったはいいけれど、
しょっちゅう遅刻ばかりで、結局怠惰を理由にクビ?
でもそれで自由になった?彼は、タイムとかヴォーグとか、
との契約カメラマンになる一方、
パリの風景などを収めていった・・・そうな。
でもどこに行っても大体好かれるような人だったそうで。
展覧会。
イントロが終われば,次は「時代の寵児」達の写真。
え?へぇ?マリア・カラス、ってあんな顔して微笑むのか。
いつもは「何か見えないものから自分をガードしている」
印象だったけれど。
「トスカ」の収録の合間に見せる微笑み、笑い。
警戒心の全く無い、ごくごく自然な微笑み。
それだけでも充分引き込まれる写真だったり。
ブーレーズは若い頃からふてぶてしかったのね、とか。
ジョルジュ・プレートルもカラスとならんで
すごくくつろいだ休憩の風景だったり。
エディット・ピアフの高尚な舞台写真だったり。
衣装合わせをする「イブ・サンローラン」だったり。
もう、名前を見るだけでクラクラ・・・
「え~?!こんな人達のポートレートを撮ることを
許されていたのかぁ?」という素朴な驚き。
クラシックに限らず、シャルル・アズナブールとか。
(赤くはなかった。)
ジュリエット・グレコとか。
グレコと言えば、メジャーになる前に
街角でワンコと一緒に撮った写真が
とても朗らか?で。でも印影に飛んでいるせいか、
やっぱり「灰色の空の下」って感じもして、
これまた印象的な一枚もありましたねぇ。
そうそう。イブ・モンタンもいたっけ。
ホント、いきいきとした表情。
俺はトシ取ったモンタンしか知らないけれど。
若い頃こんな感じだったなら、
そりゃフランスで人気爆発するんだろうなー・・・
しかも、とっても「おフランス」な印象。
いいなー、男前って。。。
展覧会では有名人に限らず、
市井の人を切り取った写真群も。
特に、毎年7月14日の「パリ祭」の街角を
取った写真も、また自由に興奮した人々の
様子がじわじわ?伝わってきます。
やっぱりこの日は今でもフランス人・パリ人には
とっても重要な日なのだろうな、って
「お祭り感」が写真からにじみ出てきています。
他に驚いた、と言えば。
ドアノー本人曰く
「ピカソのアトリエから、レコーディングスタジオまで
自由に出入りできるのは自分の特権だ」だったかな?
自慢、なんだろうけれど、全然イヤミじゃないほど
そういう写真群も「視線の温かさ」を感じましたねぇ。
そして、何と!
俺は笛吹きだからちょっと違うけれど。
ビュッフェ・クランポンの製造工場にお邪魔して、
各工程の色んな段階を写真で切り取って見せる、
という一連の作品がありました。
へー?!Clを「乾かす」っての、
なんか傘立てみたいな所に、
キーのついていない(穴の空いた状態で組み上げた)本体を
ズボズボ挿して乾かしてるの、ね。
なるほど、そりゃ「個体差」ってのは出るわな。
そして多分、YAMAHAではそういう理由での個体差は
出ないんだろうな、と、ヘンに感心・感動。
そっかー。Renaultもあればビュッフェ・クランポン
もある、か。
そして、パリの街角のカフェー、ビストロ、キャバレー、
さらには音楽でもジャズだったり、ロマ音楽だったり、
を「切り取って」見せてくれる写真達。
そもそも。
人が言うには、写真って
「記録」というものなのでしょうが。
ドアノーの切り取った・写し撮ったポートレイト、風景、
何気ない仕種・・・
そこには「記録」以上の、得も言えぬ温かみ、
被写体に向ける温かみ、
そういう感情も一緒に感じることが出来ます。
不思議なもので。
写真と「絵画」とどう違うんだろう?
とは時々思うのですが。
そこにある「物質的な」なにか、
を写し取り切り取るだけではなく、
写真であっても「それ以外の何か」を封じ込めることが
出来る・・・
だから、「記録を取るため」のカメラマンもいれば、
「絵画」のような感覚でシャッターを押す、
そんな人もいるんだろうな。
簡単に、小一時間ですらりと見終えましたが。
後味がとても爽快な美術展でした。
写真かぁぁぁぁ。
スマフォのカメラ機能、未だに全然使いこなせないや・・・
やたらと人が多いと想ったら、
なんと、そういえば?!
連休、ってヤツじゃね?
ってなことに気がつくやいなや、
金曜日の大型ステーションの混み具合が
新コロ騒動以来久しぶりに大賑わいで、
おいおい、ホンマに大丈夫なんか?
そもそも第5波が急激にしぼんだ理由も
わからないのに、
それにそりゃ確かに経済も回さなきゃダメだし、
特にこの街は市長を筆頭に
「観光に来てください~」って文字通り涙する
現状であることも考えたら
むべなるかな、とは思いつつも、
北海道ではすでにリバウンドを暗示する
指数が出始めていると聞いて、
ホントに今年は無事に年越し出来るのかな?
と、いつもいつも何かしら気にして心配ばかりしている今日この頃、
皆様いかがお過ごしでしょうか。
さて。
振り返れば。
この11月。
すっかり乾ききった脳みそを
再び湿潤にすべく
演奏会をやって(お客がいたのは嬉しい限り)、
映画を見て(やっぱり007はこれで終わりだな)、
とくると。
いつものワタクシのパターン。
先週、これも毎度のパターンで、
カミさんのお供で美術展に行って来ました。
今日はその印象を簡単に。
行ってきたのはこれ!
「写真家ドアノー/音楽/パリ」
これまた例によって俺はぜーんぜん知らなかったけれど。
(カミさん、ホントよく知ってるなぁ。
とある指揮者のセンセ様からは
全くタイプ(「専攻」)の違うサブカル夫婦と
言われたっけ・・・)
ドアノー。ロベール・ドアノー。
写真家。
一次大戦後頃から?
パリの様々な風景・時代を写し取った
名フォトグラファー。
それだけしか予備知識もなく
お供したわけですが。。。
今回の会場は
京都駅ビルにある 美術館「えき」。
・・・新コロ。第5波が謎の収束を迎える中、
オイラはまだイシンオーサカを信用できないので
オーサカに出かけるのはまだガマンしてる・・・
だから、兵庫や大阪で開催される
様々な美術展はことごとく「新コロ理由」で
泣く泣くスルーせざるを得なかったのですが・・・
今回は京都市内。
そしてこの「えき」は小ぶりな美術館。
デパートの中にある美術館。
だから閉館は全館閉館の30分前、午後7時30分まで。
でもって、オイラが仕事終わってそこに行けば
だいたい午後6時~6時半の間に到着。
だから小一時間しかない、ちゃないのですが、
実は展示内容も(いつも)それに応じたボリュームで、
しかしちゃんと「コア」は作ってある美重展を
よくやってくれるので、
なかなか気に入ってる美術館なんですよねー。
しかも平日。夜。
もう人もパラパラ。
結構気に入っています。ここ。
で、「ハコ」はいい、として。
このドアノーの写真。
パリのさまざまな風景、というより「顔」を
フレームに収めています。
大きくは「パリの音楽シーン」が中心なのですが。
ドアノー自身音楽が好きだったんでしょうね。
ちうか、どの写真も「スキ」でなきゃ取れないような、
暖かい眼差しを感じます。
その音楽をテーマにした写真。
アコーディオン弾きと歌い手の女2人。
様々な場所でさまざまな風景で歌っている。
酒場、カフェー、などなど・・・
その風景はあまりにも大衆的すぎて、
なんだか日本の居酒屋で流しで歌い演奏する
歌手とギタリスト・・・
そんな赴きすら。
そのドアノー。
最初は特に写真をやるつもりはなかったそうですが。
ワインボトルのラベルの印刷?
普通に活版印刷をするための原稿?原画?を
彫っていたそうですが。
第1次対戦の頃、それが急速に写真などに置き換わって、
要するに「ご用済み」な職業になっちゃって。
だから父親に(買って)もらった「キャメラ」を
手にして・・・
だったかな。
その後、Renaultの広報カメラマンになったはいいけれど、
しょっちゅう遅刻ばかりで、結局怠惰を理由にクビ?
でもそれで自由になった?彼は、タイムとかヴォーグとか、
との契約カメラマンになる一方、
パリの風景などを収めていった・・・そうな。
でもどこに行っても大体好かれるような人だったそうで。
展覧会。
イントロが終われば,次は「時代の寵児」達の写真。
え?へぇ?マリア・カラス、ってあんな顔して微笑むのか。
いつもは「何か見えないものから自分をガードしている」
印象だったけれど。
「トスカ」の収録の合間に見せる微笑み、笑い。
警戒心の全く無い、ごくごく自然な微笑み。
それだけでも充分引き込まれる写真だったり。
ブーレーズは若い頃からふてぶてしかったのね、とか。
ジョルジュ・プレートルもカラスとならんで
すごくくつろいだ休憩の風景だったり。
エディット・ピアフの高尚な舞台写真だったり。
衣装合わせをする「イブ・サンローラン」だったり。
もう、名前を見るだけでクラクラ・・・
「え~?!こんな人達のポートレートを撮ることを
許されていたのかぁ?」という素朴な驚き。
クラシックに限らず、シャルル・アズナブールとか。
(赤くはなかった。)
ジュリエット・グレコとか。
グレコと言えば、メジャーになる前に
街角でワンコと一緒に撮った写真が
とても朗らか?で。でも印影に飛んでいるせいか、
やっぱり「灰色の空の下」って感じもして、
これまた印象的な一枚もありましたねぇ。
そうそう。イブ・モンタンもいたっけ。
ホント、いきいきとした表情。
俺はトシ取ったモンタンしか知らないけれど。
若い頃こんな感じだったなら、
そりゃフランスで人気爆発するんだろうなー・・・
しかも、とっても「おフランス」な印象。
いいなー、男前って。。。
展覧会では有名人に限らず、
市井の人を切り取った写真群も。
特に、毎年7月14日の「パリ祭」の街角を
取った写真も、また自由に興奮した人々の
様子がじわじわ?伝わってきます。
やっぱりこの日は今でもフランス人・パリ人には
とっても重要な日なのだろうな、って
「お祭り感」が写真からにじみ出てきています。
他に驚いた、と言えば。
ドアノー本人曰く
「ピカソのアトリエから、レコーディングスタジオまで
自由に出入りできるのは自分の特権だ」だったかな?
自慢、なんだろうけれど、全然イヤミじゃないほど
そういう写真群も「視線の温かさ」を感じましたねぇ。
そして、何と!
俺は笛吹きだからちょっと違うけれど。
ビュッフェ・クランポンの製造工場にお邪魔して、
各工程の色んな段階を写真で切り取って見せる、
という一連の作品がありました。
へー?!Clを「乾かす」っての、
なんか傘立てみたいな所に、
キーのついていない(穴の空いた状態で組み上げた)本体を
ズボズボ挿して乾かしてるの、ね。
なるほど、そりゃ「個体差」ってのは出るわな。
そして多分、YAMAHAではそういう理由での個体差は
出ないんだろうな、と、ヘンに感心・感動。
そっかー。Renaultもあればビュッフェ・クランポン
もある、か。
そして、パリの街角のカフェー、ビストロ、キャバレー、
さらには音楽でもジャズだったり、ロマ音楽だったり、
を「切り取って」見せてくれる写真達。
そもそも。
人が言うには、写真って
「記録」というものなのでしょうが。
ドアノーの切り取った・写し撮ったポートレイト、風景、
何気ない仕種・・・
そこには「記録」以上の、得も言えぬ温かみ、
被写体に向ける温かみ、
そういう感情も一緒に感じることが出来ます。
不思議なもので。
写真と「絵画」とどう違うんだろう?
とは時々思うのですが。
そこにある「物質的な」なにか、
を写し取り切り取るだけではなく、
写真であっても「それ以外の何か」を封じ込めることが
出来る・・・
だから、「記録を取るため」のカメラマンもいれば、
「絵画」のような感覚でシャッターを押す、
そんな人もいるんだろうな。
簡単に、小一時間ですらりと見終えましたが。
後味がとても爽快な美術展でした。
写真かぁぁぁぁ。
スマフォのカメラ機能、未だに全然使いこなせないや・・・
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