オペラじゃないのよ、ミュージカルは。
8月が終わって新コロ感染者数も下向きになった9月、
暑さ寒さも彼岸まで、という言葉を信じて
さあ、秋だ!と思うやいなや、
秋の長雨?で、妙に湿気たっぷり、
どうしてくれよう?と思っていたら
お約束の台風来襲、
マジでこれ、オリパラの時に来なくて
よかったね、これで秋本番!
と雨上がりに思っていたのに、
なぜか再び真夏日の連続、
結局のところ、梅雨からやり直しかぃっ?!
と爽やかな青い空に向かって毒づいてしまう
今日この頃、皆様いかがお過ごしでしょうか。
もういい加減聞き飽きましたよねぇ。
今年の天気は異常だ、って。
異常も毎年続けば当たり前?
でもそんな温暖化に30年以上も昔に
警告をしていた学者先生が日本におられた、とは!
しかも狙ったかのように、
小松左京の「日本沈没」の
「現代版バージョン」とやらの
怪しげな「リメイク」?
だいたい、小松左京の作品の映像化、って
実はめちゃ無理があるんじゃね?と思うオイラには、
さて、どんな風に翻案するんだか?
とアル意味興味津々だったり。
でも「今」リメイクするなら、
やっぱり「復活の日」でしょうに。。。
ということで。
1週間飛ばしてしまいましたが。
今日も「映画予告編」をみて
勝手に本編を決めつけてしまう、パート2、です。
前回のお題は007。
もう封切りされているので
ネタばれを必死で回避していますが。
え?なんですか?3時間もするの?
やっぱり「シリーズ全体完結編」になりゃせんか、
なんか、心配・・・
で。今日のお題は「ウェストサイドストーリー」。
これ、ねぇ・・・
メガホン取ったのがスピルバーグ・・・・・
実は去年封切りだったのが
新コロ諸々で今年に延期された、とのこと。
んで、アメリカ・アカデミー狙いなんでしょうな。
クリスマスに封切りだ、とかで、
出し惜しみしつつ、
今まで「第1弾(普通の予告)」
「トゥナイト編」「アメリカ編」と
3パターンを出して来ましたが・・・
いや、ですね。
予告だけで判断する、てのはあまりよくない、
とは思うのですが。
率直に。予告見ただけで・・・
めちゃくちゃ「いやーーーーーーーーーな予感」
がするんですよね。
いや、確かにスチール写真とか、
映像とか見てて、
オリジナルへのリスペクトはしてるんだろうな、
とは思うのですが。
正直に・・・
何かが違う。
ウェストサイドストーリーのはずなのに・・・・
何かが違う。
ウェストサイドストーリー。
ミュージカルの金字塔。
<バーンスタイン・ロレンツ・ソンドハイム>の
ウェストサイドストーリー。
それとは何かが違う。
なんだろ?この猛烈な違和感?
予告編が進むにつれて、だんだん嫌な予感は的中しそうな?・・・
ハッキリ言って、現段階で、
これ、やっぱりリメイクすべきじゃなかったんじゃね?と。
リメイクしてはいけない作品、って映画史上何本かある、
とは思うんですよね。
ただ、下手に過去の名作をリメイクしまくっていた
時代があったのも事実でしょうが。。。
それだけ、台本(オリジナル)をかける人が
どんどんいなくなってるのかな?
話を戻して。
ウェストサイドストーリー。
これ、もしかしたら許せざるレベルまで
アウトな「リメイク」かも・・・・・
下手すりゃ、俺にはオリジナルの冒涜すら覚えるかも?
いや、本編全部見たら全然印象は違うかも、なんですが。
予告編をみただけでこういうのは不公平ってなもんでしょうが。
何が気に入らないって・・・
・ もしかして、キーが違っていない?
・ もしかして、アメリカ、歌詞変えてない?
いや、シーンの入れ替えは舞台と映画で違う、ということは
よくある話のはずです。
舞台には「休憩(幕間)」があるので、
休憩明けをどうするか?という問題がありますが、
映画の場合、殆ど「休憩」ってないはずなので、
話を最後に盛り上げるために
曲順・シーンの順番を変える、ということはあるでしょう。
それは許しましょうぞ。
例えば、ファントム(オペラ座の怪人)であれば、
シャンデリア落としは「舞台では1幕の終わり」ですが、
映画では殆どラストシーンに移動してる、ってやつね。
これ、1幕の終わりを盛り上げる仕掛けのはずだけど、
映画で、始まって半分くらいのところで
あの1億円のシャンデリアの一発取り、なんてすると、
その先の1時間をどうやって話持たすのん?
ってこともありますからねぇ。
でもね。
このウェストサイドストーリー。
どう聞いても「アメリカ」は歌詞変えてる。
オリジナルではシャークスの取り巻き・女性陣が
ホームシックになったメンバーをからかう
いわゆる女声コーラスのナンバー。
オリジナルの映画では、シーンも違ってるし、
シャークスの男子も一緒に歌っているけれど
(その方が映画的には自然に見える)
歌詞は変えていなかったはず。
それが、なんか男性コーラスが
「男らしく」だかなんだか、ってなってません?
字幕の翻訳間違い?
いや、それならすぐに直して欲しい。
バーンスタインの曲、ソンドハイムの詩。
これらは絶対に変えちゃならんのよ。
ダンスシーンの尺に合わせて曲を切り貼りするのは
まぁ、許しましょう。
でもね。キーが違うんだったら、
そもそもそのキーで歌えない人を使わないか、
吹き替えで対処してもらいたい。
名曲になればなるほど、キーが違うというのは
致命的な「印象間違い」になっちゃうからね。
そして、おそらくスピルバーグのチームが陥ったであろう罠。
ここが最大の違和感なんだわ。俺に取って。
それは、彼らはこれを知らず知らずのうちに
「オペラ」として捉えてるんじゃないか?ってことですわ。
くり返しになるけれど。
作詞・作曲はもう天下一品。どこも変えようが無いし、
変えたら一発で「品質劣化」は間違いなし。
例えば、ベートーヴェンの第9の歌詞を
時勢に変えて変更する、なんて考えられます?
演奏者の技量に問題があるので、
原曲から移調して演奏します、なんてありえる?
出来ないならやらない。単純。
まずはそういうことを平気でやってるんじゃないか?ってこと。
そして。
バーンスタイン自身が厳しく自戒しているのですが。
「これはあくまでもミュージカルであってオペラではない」
ということ。
リアリティを得る為に、絶対にオペラにしてはいけない、と。
19や20歳の若いのが、
めちゃ複雑なカルテットを、
しかもグループでうたう、
なんて仕掛け。
普通のオペラでも激むずな技術。
でもそれをプロのオペラ歌手がやってしまうと、
とたんにそこは「ウェストサイド」ではなくなり
「カーネギーホール」になってしまう。。。
それだけ、オリジナルの映画の制作陣は
厳しく戒めていたはず。
だのに・・・
最近気がついた最大の違和感こそがそれなんですよね。
例えば。
トゥナイトを「フルオーケストラ」でかき鳴らせて
無理矢理観客の感情をかき乱し、揺り動かそうとする、
その大音響。
それこそが、一番の「間違い」ではなかろうか?
音楽監督がデュダメルなので、多分オケは
ロスフィルを使っているのでしょう。
つまり、普通にクラシック音楽をやって、オペラの
伴奏もやって・・・それが日常のオケが
「ブロードウェイのミュージカル」を
「フルオーケストラの技量」で鳴らせる・・・
これが一番やってはいけないことなのかも。
オリジナルの曲は、ピットの関係もあって、
確か30数人で演奏するようになっているはず。
だからビオラやハープはなし、Percは2人で
サーカス並みの持ち替えをやって
対応している、はず。
ちなみに。これを編纂して「シンフォニックダンス」
にした時、バーンスタインは初めて自分の曲(スコア)
を勉強して、どうやってハープやビオラを「オーケストラの中」
に落とし込むか、かなり悩んだ、という話。
でもそこで演奏するプレイヤーは皆クラシック音楽の人。
舞台もそういう舞台なので、これはこれで問題無し。
問題なのは。
たった数十人で奏でるだけでも充分感情を激しくゆさぶり、
突き抜ける、その音楽の持っている根源的な力を無視
するかのように、「力業」で盛り上げようとする、
そのコンセプト?
そりゃ、ソロ(シングル)で歌っても
充分感動するのに、それをフルオーケストラ、大声量の
ソプラノ歌手が全力で歌う?
それが「ウェストサイドストーリー」・・・・・?
実際、バーンスタインは晩年、自作自演で
ブロードウェイのオリジナル通りに録音してます。
そこでは歌手は全員オペラ歌手を使ってます。
ライナーノートにあるには、
「今回は音だけで芝居は一切ないし、自分の曲をこういう
のもナニだが、一度オペラ歌手で「トゥナイト」「マリア」
「サムフェア」を聞いてみたかった。」とのこと。
それでも「グランドオペラ」にならないように、
オケはあえてスタジオミュージシャンで、
「ウェストサイド」にありそうなチープな感じの
(でもめっちゃ上手い!)音楽。
レコーディングの話を聞いて、当時のニューヨークフィルの
主席のフルーティストは「なんとか仲間に入れてくれ」と
バーンスタイン本人に泣き付くわ、同じく主席のヴィオリスト
は「スマン、この曲にビオラはないんだ」と聞くと
「じゃ、2ndVnでいいから、入れてくれ。ちゃんと
「崩して」演奏するから!」とまで。。。
そう。
今回のリメイク版ウェストサイドストーリー。
これ、絶対涙でまくりの感動巨編になると思う。
そして音楽もめちゃ印象深いものになると思う。
スピルバーグは「リアリティ」と「オマージュ」を込めて。
シャーク団は全員プエルトリコ系の役者を、
ジェッツは全員イタリア系アメリカ人の役者を、
それぞれ揃えて。
あの「アパート裏の非常階段」も
効果的・印象的に使っているけれど。
俺は多分、見に行ければ見に行くんだろうけれど。
感動もするだろうけれど。
けれども、絶対オリジナルを超えるリメイクには
ならないと思う。
ただ一つ。再びバーンスタインの言葉から。
「このテーマがいつの時代、どの場所でも通用してしまうのは
悲しいこと。このテーマが古くさい話になるのはいつのこと
なんだろう?」
アメリカを問わず、世界中「分断」が問題となる現代。
どうか、そこを見直す契機にさえなってくれれば、
それはそれで良し、とするか。。。
でも。キー、変えるか?歌詞、変えるか?
俺の間違いであって欲しいけど・・・ね。
これ、ブロードウェイのミュージカルですから。
メトロポリタンで上演するオペラとちゃいますから。
頼むわ、ホンマ。
暑さ寒さも彼岸まで、という言葉を信じて
さあ、秋だ!と思うやいなや、
秋の長雨?で、妙に湿気たっぷり、
どうしてくれよう?と思っていたら
お約束の台風来襲、
マジでこれ、オリパラの時に来なくて
よかったね、これで秋本番!
と雨上がりに思っていたのに、
なぜか再び真夏日の連続、
結局のところ、梅雨からやり直しかぃっ?!
と爽やかな青い空に向かって毒づいてしまう
今日この頃、皆様いかがお過ごしでしょうか。
もういい加減聞き飽きましたよねぇ。
今年の天気は異常だ、って。
異常も毎年続けば当たり前?
でもそんな温暖化に30年以上も昔に
警告をしていた学者先生が日本におられた、とは!
しかも狙ったかのように、
小松左京の「日本沈没」の
「現代版バージョン」とやらの
怪しげな「リメイク」?
だいたい、小松左京の作品の映像化、って
実はめちゃ無理があるんじゃね?と思うオイラには、
さて、どんな風に翻案するんだか?
とアル意味興味津々だったり。
でも「今」リメイクするなら、
やっぱり「復活の日」でしょうに。。。
ということで。
1週間飛ばしてしまいましたが。
今日も「映画予告編」をみて
勝手に本編を決めつけてしまう、パート2、です。
前回のお題は007。
もう封切りされているので
ネタばれを必死で回避していますが。
え?なんですか?3時間もするの?
やっぱり「シリーズ全体完結編」になりゃせんか、
なんか、心配・・・
で。今日のお題は「ウェストサイドストーリー」。
これ、ねぇ・・・
メガホン取ったのがスピルバーグ・・・・・
実は去年封切りだったのが
新コロ諸々で今年に延期された、とのこと。
んで、アメリカ・アカデミー狙いなんでしょうな。
クリスマスに封切りだ、とかで、
出し惜しみしつつ、
今まで「第1弾(普通の予告)」
「トゥナイト編」「アメリカ編」と
3パターンを出して来ましたが・・・
いや、ですね。
予告だけで判断する、てのはあまりよくない、
とは思うのですが。
率直に。予告見ただけで・・・
めちゃくちゃ「いやーーーーーーーーーな予感」
がするんですよね。
いや、確かにスチール写真とか、
映像とか見てて、
オリジナルへのリスペクトはしてるんだろうな、
とは思うのですが。
正直に・・・
何かが違う。
ウェストサイドストーリーのはずなのに・・・・
何かが違う。
ウェストサイドストーリー。
ミュージカルの金字塔。
<バーンスタイン・ロレンツ・ソンドハイム>の
ウェストサイドストーリー。
それとは何かが違う。
なんだろ?この猛烈な違和感?
予告編が進むにつれて、だんだん嫌な予感は的中しそうな?・・・
ハッキリ言って、現段階で、
これ、やっぱりリメイクすべきじゃなかったんじゃね?と。
リメイクしてはいけない作品、って映画史上何本かある、
とは思うんですよね。
ただ、下手に過去の名作をリメイクしまくっていた
時代があったのも事実でしょうが。。。
それだけ、台本(オリジナル)をかける人が
どんどんいなくなってるのかな?
話を戻して。
ウェストサイドストーリー。
これ、もしかしたら許せざるレベルまで
アウトな「リメイク」かも・・・・・
下手すりゃ、俺にはオリジナルの冒涜すら覚えるかも?
いや、本編全部見たら全然印象は違うかも、なんですが。
予告編をみただけでこういうのは不公平ってなもんでしょうが。
何が気に入らないって・・・
・ もしかして、キーが違っていない?
・ もしかして、アメリカ、歌詞変えてない?
いや、シーンの入れ替えは舞台と映画で違う、ということは
よくある話のはずです。
舞台には「休憩(幕間)」があるので、
休憩明けをどうするか?という問題がありますが、
映画の場合、殆ど「休憩」ってないはずなので、
話を最後に盛り上げるために
曲順・シーンの順番を変える、ということはあるでしょう。
それは許しましょうぞ。
例えば、ファントム(オペラ座の怪人)であれば、
シャンデリア落としは「舞台では1幕の終わり」ですが、
映画では殆どラストシーンに移動してる、ってやつね。
これ、1幕の終わりを盛り上げる仕掛けのはずだけど、
映画で、始まって半分くらいのところで
あの1億円のシャンデリアの一発取り、なんてすると、
その先の1時間をどうやって話持たすのん?
ってこともありますからねぇ。
でもね。
このウェストサイドストーリー。
どう聞いても「アメリカ」は歌詞変えてる。
オリジナルではシャークスの取り巻き・女性陣が
ホームシックになったメンバーをからかう
いわゆる女声コーラスのナンバー。
オリジナルの映画では、シーンも違ってるし、
シャークスの男子も一緒に歌っているけれど
(その方が映画的には自然に見える)
歌詞は変えていなかったはず。
それが、なんか男性コーラスが
「男らしく」だかなんだか、ってなってません?
字幕の翻訳間違い?
いや、それならすぐに直して欲しい。
バーンスタインの曲、ソンドハイムの詩。
これらは絶対に変えちゃならんのよ。
ダンスシーンの尺に合わせて曲を切り貼りするのは
まぁ、許しましょう。
でもね。キーが違うんだったら、
そもそもそのキーで歌えない人を使わないか、
吹き替えで対処してもらいたい。
名曲になればなるほど、キーが違うというのは
致命的な「印象間違い」になっちゃうからね。
そして、おそらくスピルバーグのチームが陥ったであろう罠。
ここが最大の違和感なんだわ。俺に取って。
それは、彼らはこれを知らず知らずのうちに
「オペラ」として捉えてるんじゃないか?ってことですわ。
くり返しになるけれど。
作詞・作曲はもう天下一品。どこも変えようが無いし、
変えたら一発で「品質劣化」は間違いなし。
例えば、ベートーヴェンの第9の歌詞を
時勢に変えて変更する、なんて考えられます?
演奏者の技量に問題があるので、
原曲から移調して演奏します、なんてありえる?
出来ないならやらない。単純。
まずはそういうことを平気でやってるんじゃないか?ってこと。
そして。
バーンスタイン自身が厳しく自戒しているのですが。
「これはあくまでもミュージカルであってオペラではない」
ということ。
リアリティを得る為に、絶対にオペラにしてはいけない、と。
19や20歳の若いのが、
めちゃ複雑なカルテットを、
しかもグループでうたう、
なんて仕掛け。
普通のオペラでも激むずな技術。
でもそれをプロのオペラ歌手がやってしまうと、
とたんにそこは「ウェストサイド」ではなくなり
「カーネギーホール」になってしまう。。。
それだけ、オリジナルの映画の制作陣は
厳しく戒めていたはず。
だのに・・・
最近気がついた最大の違和感こそがそれなんですよね。
例えば。
トゥナイトを「フルオーケストラ」でかき鳴らせて
無理矢理観客の感情をかき乱し、揺り動かそうとする、
その大音響。
それこそが、一番の「間違い」ではなかろうか?
音楽監督がデュダメルなので、多分オケは
ロスフィルを使っているのでしょう。
つまり、普通にクラシック音楽をやって、オペラの
伴奏もやって・・・それが日常のオケが
「ブロードウェイのミュージカル」を
「フルオーケストラの技量」で鳴らせる・・・
これが一番やってはいけないことなのかも。
オリジナルの曲は、ピットの関係もあって、
確か30数人で演奏するようになっているはず。
だからビオラやハープはなし、Percは2人で
サーカス並みの持ち替えをやって
対応している、はず。
ちなみに。これを編纂して「シンフォニックダンス」
にした時、バーンスタインは初めて自分の曲(スコア)
を勉強して、どうやってハープやビオラを「オーケストラの中」
に落とし込むか、かなり悩んだ、という話。
でもそこで演奏するプレイヤーは皆クラシック音楽の人。
舞台もそういう舞台なので、これはこれで問題無し。
問題なのは。
たった数十人で奏でるだけでも充分感情を激しくゆさぶり、
突き抜ける、その音楽の持っている根源的な力を無視
するかのように、「力業」で盛り上げようとする、
そのコンセプト?
そりゃ、ソロ(シングル)で歌っても
充分感動するのに、それをフルオーケストラ、大声量の
ソプラノ歌手が全力で歌う?
それが「ウェストサイドストーリー」・・・・・?
実際、バーンスタインは晩年、自作自演で
ブロードウェイのオリジナル通りに録音してます。
そこでは歌手は全員オペラ歌手を使ってます。
ライナーノートにあるには、
「今回は音だけで芝居は一切ないし、自分の曲をこういう
のもナニだが、一度オペラ歌手で「トゥナイト」「マリア」
「サムフェア」を聞いてみたかった。」とのこと。
それでも「グランドオペラ」にならないように、
オケはあえてスタジオミュージシャンで、
「ウェストサイド」にありそうなチープな感じの
(でもめっちゃ上手い!)音楽。
レコーディングの話を聞いて、当時のニューヨークフィルの
主席のフルーティストは「なんとか仲間に入れてくれ」と
バーンスタイン本人に泣き付くわ、同じく主席のヴィオリスト
は「スマン、この曲にビオラはないんだ」と聞くと
「じゃ、2ndVnでいいから、入れてくれ。ちゃんと
「崩して」演奏するから!」とまで。。。
そう。
今回のリメイク版ウェストサイドストーリー。
これ、絶対涙でまくりの感動巨編になると思う。
そして音楽もめちゃ印象深いものになると思う。
スピルバーグは「リアリティ」と「オマージュ」を込めて。
シャーク団は全員プエルトリコ系の役者を、
ジェッツは全員イタリア系アメリカ人の役者を、
それぞれ揃えて。
あの「アパート裏の非常階段」も
効果的・印象的に使っているけれど。
俺は多分、見に行ければ見に行くんだろうけれど。
感動もするだろうけれど。
けれども、絶対オリジナルを超えるリメイクには
ならないと思う。
ただ一つ。再びバーンスタインの言葉から。
「このテーマがいつの時代、どの場所でも通用してしまうのは
悲しいこと。このテーマが古くさい話になるのはいつのこと
なんだろう?」
アメリカを問わず、世界中「分断」が問題となる現代。
どうか、そこを見直す契機にさえなってくれれば、
それはそれで良し、とするか。。。
でも。キー、変えるか?歌詞、変えるか?
俺の間違いであって欲しいけど・・・ね。
これ、ブロードウェイのミュージカルですから。
メトロポリタンで上演するオペラとちゃいますから。
頼むわ、ホンマ。
この記事へのコメント
なるほどさすが演奏家。
音楽への造詣の深さを感じる鋭い視点の分析やね。
何を危惧しているのかすごくよく分かりました。
つまりミュージカルの本質を忘れて、やり過ぎたらオリジナルの良さが失われるのではないかということやね。
「惑星ソラリス」のリメイクがまさにそれでした。原作のテーマをまったく見失っていて残念すぎた。もう思い出したくもない。
そもそもこの作品ってよく考えたらストーリーそのものは、シェイクスピア作品の翻案なわけやから400年前の戯曲を1950年代版にアレンジしたミュージカル舞台の1960年代版映画化作品の2020年代版リメイクっていうことやからすでに手垢がつきまくってるわけやね。
そんな作品をリメイクしたらやる前からオリジナルを超えるのは無理という空気は、スピルバーグも肌で感じてたはず。しかも当然ながら楽曲もストーリーも決まってるからついド派手にしようとしてしまったのかなと想像してしまいました。
ちょうどデカプリオ主演の「華麗なるギャツビー」のリメイクもそんな印象の作品でした。その結果オリジナルより品格が落ちたような感じがした。
だからいっそうのこと個人的には音楽は、全てオリジナルで、舞台も21世紀のアメリカにして、まったく違うものにした方が潔くて、スピルバーグらしさが出せたかもって気がしました。
デカプリオばかり引き合いにだして申し訳ないけど、デカプリオ主演の「ロミオ+ジュリエット」みたいに
それってリメイクちゃうやんって言われるかもしれないけど。
ちなみに俺は今「デューン」のリメイクがどんなものかがとても気になっています。
なるほど、「その手」がありますよね。
題材が同じでも曲・歌詞・演出を全部変える、という手。
あのファントムだって、ロイドウェッバー「以外」もあるもんね。
宝塚ですらオリジナル(?)やってたもんね。
確かに・かえってそうしてくれた方がよかったのかも。
でも、やっぱりこの映画、大物量作戦に豪華な大音量の「歌合戦」で
終わるんだろかな・・・
映画の視点も考えて見たら微妙かも。
ブロードウェイ・映画ができたのはまさに「その時代ど真ん中」だったはず。
今回は「2021年」から1950年代を「振り返る」わけでしょ?
そのあたりのニュアンスもどうなるんだろな。