オペラ・熱狂の日(ラ・フォル・ジュルネ)又は・・・庭師は見た!私も見た!

昨日は6月7日。
G・セル、P・ゴーギャン、プリンス、そしてワタクシ!
人生予定の三分の一・半世紀を
とうとう突破してしまったワケですが。

この1年間。
お世話になった皆様に心からの御礼を。

色々と今までを振り返ったこの1年。

今まで見た夢。
色々なシーンで見た夢。

叶った夢。叶わなかった夢。
かなえたい夢。実現しそうにない夢。
あきらめた夢。あきらめずに見続けたい夢。
期待してたのに全然返事をもらえなかった親友への夢。
期待していなかったのに
猛烈に嬉しい反応を示してくれた親友への夢。

改めて色々な夢はありましたが・あるのですが。

人を許すこと、それ以上に自分を許すこと。
そしてそこから新しく始まること、始めること。

昨日オペラを見て
今年も・柄にもなく、そんなことふと頭に浮かんだら・・・

そろそろ、
自分ってものを考えてもいい頃になったのかな?
いい加減?
我を通させてもらうトコロはそうしてみても・・・
良い頃合い、なのかな?

そういうお年頃になった、ってことじゃ、ダメかしら?
いやいや、そうすると加齢臭ゾーンに入ってしまう・・・

と思った次第。

ともあれ。
とにかく、カミさんの側にだけはいつまでもずっと居続けて。
そして・・・ね。

新しい1年。
そろそろランディングさせなきゃいけない夢が
徐々に上空から舞い降りてくる。

ちょいと、色々と、やってみっか。

さ~ってっと。

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ということで。
昨日は「ワタクシ生誕記念コンサート」ということで。
ネームを見たとたん、衝動買いしてしまったコンサート、
堪能して参りました!


モーツアルト 歌劇「フィガロの結婚」~庭師は見た!~

これ、ワタクシとしたことが。
制作発表・チケット売りだし、に全然気がついておらず。

でも気がついた時は・・・
いやいや、今回はセーフでした!
まだ、うすーく、かろうじて?良い席が残っていたので、
迷いつつもゲットしたわけです。

迷う?

そう、このオペラ。
企画立案?呼びかけ人は 井上道義氏!
それに応じた演出家は 野田秀樹氏!

この二人が?タッグを組んだ?!

あ~、なんで見落としてたんだろ?
アホアホアホアホ、ワシのアホ!?

この二人が組んで「しょーもない」ことになるはずがない!
その点は「金看板」だったのです・・・が。

正直、不安もあったり。

だってねぇ。野田氏が入る、ということは、
これ、もしかして演劇でやっちゃうの?と思ったり。

今回、野田氏のテイストがどこまで出るんだろう?
そもそも、今回、これは「音楽」になるのか?「芝居」になるのか?

はたまた、せっかくこの二人が組むのに、
キャストを見ると、主要部分は外人、だけど、
周囲は日本人?
もしかしてニッポン人がニッポン臭いを必死で消して
西洋のまねごとを?
それがどこまで通用するか、をこの二人がやるのか?

と思うと、ついついチケット代12000円、ってのが・・・
(我が社・役員ポカで給料めちゃヤバいのに・・・)

そのあたり、不安がぐるぐる・・・
でもこの二人のネームで「ハズレ」はあり得ない!
やっぱり、ただならぬことが生まれるに違いない!

そう思って、エイヤッ!ってチケットゲットしたんですよねぇ・・・・

で、どうだったかって?

結論。先に結論。

ワタクシが悪うございました。
最初の直感、もっと信用しなきゃ!
自分で自分を信用しなきゃ!

12000円?やっすい、やすい!
もうサイコー!充分元とった、どころか。
今日本で見られる・出来るオペラ舞台の
最高傑作と違うかな?

とにかく!

これ、やれ音楽だの演劇だのオペラだの、
そんな色眼鏡で見るもんじゃなかった、ですね。
(でもまぁただのオペラなんですが。)

でもオペラ、ってやっぱり芝居って要素も
ものすごくあったのだ、と感じると同時に、
やっぱり音楽の持つ力のものすごさ、も
感じた次第。

芝居の天才、仕掛ける天才、音楽の天才。
その3つが融合すると、
ここまでのものができあがるのか!

と、ただただ、感動の嵐、でした。
ホント「未だかつて見たことのない」ってヤツですわ。

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野田氏のファンの俺としちゃ。
実は未だに「エッグ」が影を刺していたりしますが。
あの呼び込みの台詞っぽく言うと・・・

あなたの
知ってるオペラ(フィガロ)、知らないオペラ、
知りたかったオペラ、知ったつもりになっているオペラ、
知っているつもりで分かっていなかったオペラ、
それら諸々が全部ぶち込まれて凝縮された、
そんな舞台がここにある

ということになるんでしょうかねぇ!

そして。

個々のことについちゃ、
備忘しだしたらキリがないのですが。

まず最初に。舞台そのもの。

始まる前。
舞台はオープンセット。幕は下りてません。
その・始まる前の実際の舞台を見て。

はやくも「野田ワールド」全開。
だって、これ、どう見ても「NODA・MAP」の舞台
そのものですもん。
(実際、衣装・大道具等、
ほとんどNODA・MAPのスタッフっぽかった。)

ほぼ正方形の、せり上げた舞台。
その周囲は真っ黒。
そして櫓を組んだ上に照明(舞台袖のライトは使ってなかった)。

これ、もはや小劇場の舞台でしょ?
舞台上に小劇場の舞台を組んだ、というイメージ。

これについては野田氏曰く
「自分が小劇場出身という出自を存分に使った」
のだ、とか。

舞台上には人が入る大きな箱が3つだけ。
そして色々な棒(物干し竿?な竹竿)を使うことで、
その棒がある時は「幕」、ある時は「仕切り」、
そしてある時は「松林」、と、
見る者のイメージをかき立てます。

そしてそれらの小道具が見る者にイメージを与えることで、
舞台上の進行が猛烈にリアル満載になります。

やはり野田氏曰く。
「二人がヒソヒソ話をしている横で
人が立って聞き耳を立てている。
でも間になーんもなければ、
「それはばれてるだろ?」と。
でも間に薄い幕1枚があるだけで、
とたんにリアルに「聞き耳」
を立てているシーンに見えるはず。」
とかなんとか。

そういや、エッグでも人が入る箱と幕と、
をスピーディーに動かすことで、
見る側のイマジネーションをどんどんかき立てる、
そんな演出してたですもんね。

なので、「こりゃ、生オケ付きのNODA・MAPだ!」
って、最初の舞台を見た瞬間、
ものすごーく思ったです。

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けれども舞台が進むにつれて。

ただの箱3つ、棒きれ達、だけなのに、
それが立派な歌劇場の装置にすら見えてくる。
そこで繰り広げられているのは、
紛れもなく「フィガロ」。

オペラ?芝居?
そんなジャンル分けなんか、
もうどうでもいい、
ただただ、オモロイものを
見せてもらっているだけ。。。

とまぁ、いつしか小劇場な気分は吹っ飛んで。
むちゃ豪勢なオペラ/芝居を見てる、
って気持ちになりましたねぇ。

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それから。言葉。原語、というより「ことば」。

これが最初に書いた「うぬぬ」だった点なのですが。

先に聞こえてきた情報では、
「外人はイタリア語で、日本人は日本語で歌います。」
というものがあって・・・

それが、「???」だったんですね。

いかに野田氏が手を入れようとも、
モーツアルトの素晴らしい音楽は
意味どうしようもないはず。

例えば1幕最後のアリア(フィガロ)なんて、
あれ、日本語でやるの?
え?和訳も野田氏が考える・・・って言うけれど・・・

アリア(歌曲)って、歌詞と音楽と、
が密接に結びついてるわけだし。
他のナンバーならまだしも、
超有名なアリアは、せっかくだったら原語で聞きたいなぁ。。。
(日本人が歌っても全然構わないから~。)

って思ってたのですが。

これがもう、マッタクの杞憂ってやつだったんですわ。

だってねぇ。
確かに外人はイタリア語、日本人は日本語・・・

けど「それを自然に見せる」舞台装置に選んだのが
幕末・明治維新当時の長崎!
(長崎は野田氏の出身地でもありますよねぇ。)

幕末、イタリアから来た貴族が
長崎にお屋敷を構えて、
そこの使用人は全員日本人。

けど、日本人は主人の命令が分からなきゃダメなので、
当然全員「バイリンガル。」

実際芝居の中で、さくっと、その設定を示すシーンも。

ケルビーノが一生懸命日本語でしゃべろうとすると
「あんたは日本語使わなくっていいの。
だって、ウチの使用人達は、
みんなあんた達の言葉は分かってるんだから。
だからあんた達に話す時はちゃんと
あんた達の言葉で話すから。」
だかなんだか・・・

というのを庭師がケルビーノに説明してる・・・

* こういう狂言回しとして庭師を使う、
その発想も、ものすごく感銘を受けました!

この設定をしただけで、
日本語で歌っても自然だし。

1幕の最後は、ケルビーノに向けて歌うから
当然原語で歌うことになって。
他の有名なアリア、ほぼ全部原語じゃなかったかなぁ。

ということで。
歌の中で日本語とイタリア語が混在しても
設定の妙で、全然違和感はなく。

むしろ、日本語が入ることで、
より一層話の流れがわかりやすいこと!

この仕掛けは4幕で上手く活かされてましたね。
伯爵夫人に化けたスザンナとフィガロの掛け合い。
最初はイタリア語だったのが(相手が奥様と思ってたから)
ホントのことに気がついた瞬間、歌に日本語が入り出して。
最後は両方の原語が入り乱れてのデュエット。

その心の動きが、歌の歌詞(原語)でわかるなんて!

うひゃ~。
これ、歌い手さん、大変だったろうなー!

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それから。
歌・言葉は、日本語部分であっても全部字幕つき。
その字幕の出し方が、また演劇をしてた人なのね?!
と思えるほど、絶妙で、出す場所もまた絶妙。
(字幕も野田氏お手製だ、とか!!!もう凄すぎるわ。)

だから、字幕が邪魔にならないし、
話はわかりやすくなってるし。
むしろ、字幕がオモロくて追いかけて、
ついつい肝心の舞台を見てなかったり?!

さらにさらに。
皆さん、「芝居」がむちゃ上手。
このキャストで、音楽抜いて、
ただただストレートプレイ、としても
充分やっていけるんじゃなかろうか?

・・・いや、それは言い過ぎかもしらんですが。

皆さん、小芝居がとても上手くって。
それを引き出した野田氏の手腕も
またすごい、ってことなんだろな。

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芝居の話ばかり、でしたが。
音楽だって、そりゃ素晴らしかったですよー。

特に、伯爵夫人。

1幕で使用人達のドタバタが
ものすごくわかりやすく描かれたから、
なおのこと、2幕冒頭の伯爵夫人のアリアが
もう心にしみて、哀れで、可哀想で。

(しかもその「まくら」で庭師が的確な
ポイントを示していたので、余計に・・・)

あぁ、なんて人生って酷いこと!
そして、3幕のアリアもまたしかり。

登場人物は皆何かを手に入れたのに、
伯爵夫人だけが「全てを捨てさせられている」

とはカミさんの見立て。

でもまさにその通りだもんね。
それを猛烈に・冷徹に演出は提示したわけで。

そして歌手もそれを充分に踏まえてたんだろな。
劇中でも「そういう感情は言語の壁を越えるのよ!うひゃー!」
ってのがありましたが。

字幕ナシでも、悲しみのどん底の伯爵夫人、
というオーラ、たっぷり伝わりました。
いやいや、声もよかったし。

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歌といえば。もひとつ。
再び、日本語で歌う、ということ。

実は日本語で歌曲を歌うの、
って猛烈に難しいそうです。

要するに
「日本語なはずなのに、何言ってるか全然わからん。」
というヤツ。

最悪だと、歌詞通りの字幕が出ているのに、
それでも「なんと言っているかわかりませーん」
というパターン。

でも、このフィガロの出演者は、
皆、ちゃんと日本語で何歌ってるか、わかりました。
これ、実はこの舞台のキモだった、と思います。

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それと、もうひとつ。音楽。
これはちと残念な印象。

オケ。

弦楽器はまあ良かったけれど、
管打楽器群が、ちょっと、ね・・・
アマチュアっぽい音色、って言うと酷いでしょうが・・・
けど、舞台があれだけ芳醇に展開してるのに、
妙に管打楽器群の音が、むちゃ浮きまくり・・・
(なので妙に耳に付いてしまう。)

それだけが残念でしたねー・・・・・

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最後に、もひとつ・も一度、演出。
これは野田氏のこだわりで、
井上氏と最後までもめてたのだ、とか?

それ、エンディングだそうです。

演劇として台本読むとそう思うのか、なるほどなー、
って思います。

だってねぇ。伯爵夫人。
自分は貴族。周りは使用人。
けど、誰も彼もが欲しいものを手に入れて幸せになって。
伯爵ですら、好き放題やって、
なのに自分(夫人)に猛烈に嫉妬して
暴言吐きまくって・・・

それが、最後の最後で
「許してくれ」って一言だけなのに

「私は従順なので「はい」とだけこたえておきます。」

って答えたら、
皆「やったー!ハッピー!奥様めちゃ寛大~!」

で、オシマイ?

うっそー。
そんな簡単に「人を許して・自分自信を許して」って
出来るのか?!

というのが野田氏の大いなる疑問だったようです。

特に人を相手に「信頼」「愛」ということでもめた時、
そんな簡単に許し合えるもんだろうか?
確かにねぇ。
実社会・実体験でもよくある話、って思うけどなぁ。

「簡単に人を許す・自分自身を許す」ってこと・・・

少なくとも、ワタシャ未だに全然できてません。
(そうなれればいいなー、って猛烈に思いますが。)

そういや、シャンパンのせいにして許した夫婦、
ってのもあったけど、アレはモロ「喜劇」だかんねー。

だから、最後の最後、ネタバレですが?

夫人は伯爵と「だけ」は手をつなごうとしないし、
最後にライフル一発ぶっ放して全員ビビらせる・・・

だから。
芝居を全部見終わった後
「あの後、伯爵夫妻はどうなったと思う?」というのが
頭の中をぐるぐると・・・

うーん。それ、野田氏の仕掛けに思い切りハマってるよなぁ。
けど、そういう仕掛けにハマるの、って気持ちいい!

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ともあれ。

「たかが」オペラだったはずなのに。
見て聞いて体験して。
笑って泣いて(マジで)。

そういうの、玉三郎さん、仁左衛門さんで見た
歌舞伎(何だっけなぁ?忠臣蔵だっけ?)以来かも。

それだけ感情移入できた、ってことは、
芝居として、音楽として、オペラとして、
とても良かった体験だったんだろな。

そう思います。

今でこそ「芸術を鑑賞してつかまつる」ってな
感じもあるのでしょうが。
本来、オペラ(歌舞伎)、って世情を踏まえて
笑って泣いて、って・・・
そんな場所だった・・・のでは?
とすら思えたり。

ということで。
人を許し、自分自身を許し、新しい地平に繰り出す。
新しく始まる1年。
自分にはむちゃ高いハードルだろうと思いますが、
けど、そろそろ新しい地平へと繰り出してみよう。

そう思います。

こんなんでよけりゃ、
引き続きお付き合い下さいませ。


・・・うーん。まだまだ備忘しなきゃいけない舞台だったなぁ。
来週に続ける、か?!

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